校歌

合唱/令和3年度卒業生

校歌誕生まで

 校歌に対する思いと制定の経緯 開校当時の教務主任木村靖先生は,音楽を担当されており校歌制定に意欲的であった。しかし、学校は都市縁辺の新興住宅地に位置し自然環境の変化は著しく、校舎から見る風景はどのように展望するか予測できず、加えて学校像、生徒像も確立されていない時期に校 歌の制定は時期尚早との結論に至った。部活動での大会や対外試合では、選手を鼓舞し、健闘をたたえるため校歌が斉唱されることが少なくない。校歌のない新設校としての悲嘆が生徒間に生じ校歌制定が熱望され、平成 11 年前期生徒会役員の手で「生徒会ソング」がつくられた。 創立 10 周年を記念し校歌制定を計画。「地域、PTA、学校が一体となり、生徒の心に残る 校歌を制定し、学校への想いを一層深める」を趣旨とし、平成 12 年 12 月 18 日に第 1 回名 古屋市立鎌倉台中学校校歌制定委員会が開催された。

歌詞

 古の歴史を友と繙けば
  鎌倉街道 蘇える
  立て 街道を望む窓開けて
  花ひらく今日に夢かける
  いま集い いま学ぶ
  鎌倉台中学 われら 
         
         ふれあいの泉のほとり 
         友思い 師と語り
         支えあい 信じあう やすらぎ

 虹色の光を浴びて走るとき
 力を束ねて風を切る
 見よ 鳥が帰る山々の
 やさしさに明日の夢歌う
 いま鍛え いま励む
 鎌倉台中学 われら
         
         新しい世紀の鼓動
         脈々と たくましく
         響きあい 応えあう 歓び

歌詞の解説

校歌の詩について作詩者(古田花子先生)の解説
(平成 13 年 8 月 11 日,古田先生より故浅野教頭先生に送られた資料より抜粋)
第一連に、鎌倉街道から由来しました鎌倉台という土地の名前が珍しいのでこの土地の歴史を繙 くことにしました。「何故、名古屋市に鎌倉という学校があるの?」とか「鎌倉街道って今もある の?」という質問がけっこうありましたので、鎌倉街道を今一度甦らせ、学舎の北の窓を開けて望 んでもらうことにしました。そして歴史を認識し、歴史をふまえて自覚して、花開く今日に夢かけ て、集い、共に学ぶ決意をかきました。
ふれあいの泉は、学校のシンボルの一つですし、泉は本来清らかな水の湧き出るところですから、 連を独立して教育的にしっかりと、とり上げました。友を思い、師と語り、学び、導かれ、慰めら れ、励まされ、-支えあい、信じあう、喜びから、うまれる「やすらぎ」をうたいました。
一連に朝を歌い、二連が昼休みとか午後に向かいますので三連に活動の大きい昼や午後の姿を歌 い更に、家路へ向かう夕べを、明日に向かって歌いました。
太陽の光、虹色の光の中で、力一杯風を切って走る中学生生達。夕暮れには、鳥たちが帰る山ふ ところのやさしさに、自分も帰る温かい家庭を偲び、そのあたたかさ、やさしさを基にして、明日 への夢を描き歌う中学生をイメージしました。そして、走る時も学ぶ時も常に切磋琢磨して向上し てほしい。自助努力の精神を忘れないよう「鍛え」「励む」ことの大切さを歌いました。すべてに 一番伸び率の高いこの時期の中学生達の知力、体力、忍耐力の向上を祈ります。
四連で新しい二十一世紀を担って生きる誇りある使命を忘れず、二十一世紀のたくましい鼓動を 歓びながらどこまでも伸びてゆく躍動する中学生の姿をイメージとして結びとしました。