

浅野寿美子先生は第6代園長として昭和16年4月から昭和41年3月までの25年間にわたり、第三幼稚園の園長をつとめられました。
戦後、女性が文部省の中に入ることなど考えられない時代に、「荒廃した幼稚園環境を向上させるためには国の助成が不可欠」と直接文部省に出向いて陳情するなど、大変行動的な「熱血園長」でした。
浅野先生の働きかけにより、第三幼稚園に昭和26年、全国に先駆けて3歳児学級(1学級17名で2学級)が設置され、翌27年には文部省モデル幼稚園としての指定を受けました。
海外への学校紹介では日本の幼稚園を代表して紹介されました。
また、現在の園歌は創立50周年を記念して、昭和40年に制定されましたが作詞は浅野寿美子先生によるものです。
子どもたちの健やかな成長に必要な環境を整えるために尽力されたその功績は多大なものがあります。
名古屋市立第三幼稚園は大正4年に創立されました。
90年以上の長い歴史の中で多くの先達が子どもたちのために大切に守り慈しみ、そして育ててきた“もの”たち・・・。
市内で有数の広さを誇る園庭の遊具、樹木、子どもたちの制服等、随所から歴史、伝統、子どもたちへ想いの深さが感じられます。
そんな数ある“もの”の中からほんの一部をご紹介します。
大正4年5月31日に中区伏見に創立された。
昭和20年に戦災により全焼したため閉園に追いこまれた。
昭和21年に新明小学校の一隅で保育が再開された。
終戦を迎え、混乱と劣悪な経済状況の中で昭和21年に新明小学校の一隅で保育が再開された。
終戦後の教育改革で、義務教育の小学校の復旧と六三制確立のための中学校の建設が急がれ、幼稚園の建設など手が回らない情勢だった。
幼稚園には備品ひとつなく、机や椅子も足りない粗末な状況から‘母の会’ができた。
月5円(現在の約340円)ずつ集め、机や椅子、オルガンなどの整備に協力を続けた。
園児数も急増し、昭和22年に江西小学校の教室を借用して分園が作られた。
まもなく‘母の会’は父親も参加し、‘三幼会’(分園は‘わかば会’)が誕生した。
子供たちの幸福のために園舎復興の機運が高まる中、復興後援会を結成し、後援会会長に大野哲哉氏、橋本繁蔵県議、浅野寿美子園長はじめ有識者や委員・三幼会の方々の情熱と努力により1年あまりで200万円(現在の約1,740万円)を集め、建設資金として市に寄付した。
この真剣な想いが市を動かし、園舎建設が現在の場所ではじまり、昭和25年に立派な園舎が完成され、新明小、江西小から全園児が本園に移った。
翌年後援会は解散したが、大野哲哉氏を三幼会会長に迎え、三幼会は子供たちの幸福のため、園に協力を続けてきた。
つづく