1907年(明治40年)に天白尋常小学校として開校。
開校110周年を迎える、歴史のある小学校です。
R6.3.26 現在
1年 | 2年 | 3年 | 4年 | 5年 | 6年 | すみれ れんげ |
合計 | |
学級数 | 5 | 5 | 4 | 5 | 4 | 4 | 3 | 30 |
児童数 | 122 | 143 | 141 | 144 | 127 | 125 | 14 | 815 |
名古屋市立天白小学校
〒468-0055 名古屋市天白区池場二丁目1109番地
TEL.052-801-5188
地下鉄植田駅3番出口を出て、南西へ約1km。徒歩約15分。
市バス「石薬師」北へ300m。
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≪島田地蔵寺≫ |
1442年,斯波高経(しば
たかつね)の孫樵山和尚(しょうざんおしょう)により島田広徳院として,天白小学校の近くに建てられました。しかし,天白川の大洪水があり,壊れてしまいました。 その後,今の場所に再建されましたが,そのとき地蔵尊を本尊としたため,島田地蔵寺と名前を変えました。 |
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≪毛替地蔵≫ |
昔,天白のあたりに熊坂長範(くまさかちょうはん)という大泥棒がいたそうです。金持ちの馬を次々盗み,売ろうとしましたが,馬市に出すと見つかって売ることもできません。そこで,お地蔵様に,「この馬の毛色を変えてください。そうすれば売ったお金は,必ず困った人に分けます。」と一心に祈ったそうです。すると馬の毛色が,みるみるうちに変わったそうです。それから,この地蔵尊は「毛替地蔵」と呼ばれるようになったということです。 また,ある夏,日照りが続き,村の人が困ってお地蔵さんにお願いすると,雨を降らしてくれたそうです。喜んだ村人たちは,「雨降り地蔵さん」と呼んで,提灯を奉納するようになったということです。 |
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≪島田神社≫ |
島田城を築くとき,鬼門(きもん…陰陽(オンミヨウ)道で、鬼の居ると言われる方位=北東)よけの守護神をまつるために,城の鬼門にあたる今の場所に建てられたそうです。 昔は,熊野神社といわれていましたが,明治42年石薬師の新明社,池場の八幡社,黒石の山神社を合祀(ごうし…幾柱かの神・霊を一つの神社に一緒にして祭ること)して島田神社と改めました。 夏祭りのときには,島田村当時の馬具が神楽殿にかざられます。 |
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≪島田城址≫ |
南北朝時代のころ,斯波高経(しば
たかつね)が,鎌倉街道の要所にあたるこの場所に城を築かせ,一族の牧氏守らせたのが島田城のはじまりといわれています。 現在は,小高い丘に城址の一部が残っています。天守閣あたりと伝えられているところには小さな祠(ほこら)がつくられ,「牧神社」としてまつられています。 天白区内に残るただ1つの城址です。 |
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≪薬 師 堂≫ |
山畑に薬師像を祭ったお堂があります。像が石でつくられていることから石薬師と呼ばれています。 |