見附町の由来は、
 
江戸時代、瓶杁山(東山公園の東)に徳川家の別荘がありました。そこへ行く途中、見晴らしのよい月見坂から眺めた首利池(鏡ケ池)の雁と山の端にかかる名月が絶景でした。そこで、月見坂から東を望み、首里池と月を見渡したとき、正面に見える一帯を「見附」と名付け、町名になりました。

 この丘陵は、「入り船山」という山です。

  標高40.3mの丘陵の西側に  見付小学校が建設されました。この丘陵を入船山と呼んでいます。古くは伊勢湾が入船山の下まで迫り、交易のための焼き物を船積みする湊(みなと)が近くにありました。その湊に出入りする船は、この山を目印にして湊の位置を見定めたそうです。目印となった山ということから「入船山」の名が付きました。
  小学校の施設の一部を学校教育に支障のない範囲内で、地域に開放し、身近な地域の集会・学習・スポーツ・レクリエーション活動等の場として活用を図ることにより、自主活動を通じて相互の連帯感、連帯意識を育み、心の豊かさとふれあいのある地域社会の形成を期待するものとして、平成4年10月に完工されました。

  見付学校公園

































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