伊勢山中学校遺跡とは?
伊勢山中学校は、名古屋台地と呼ばれる洪積世台地の南西部に当たる位置に立地する。
中区の南半辺りから台地は、現在の堀川と新堀川に挟まれる形で南へ延び、本校一帯は熱田台地と呼んで小区分される。
ここは北の那古野台地西側にかけて多くの遺跡がある事が知られ、街の下で遺跡が良い状態で残っている事が判明している。伊勢山中学校遺跡は、前述の熱田台地の北西部、本校及び付近の住宅や神社がその範囲となっている。
名古屋市の調査によって、遺跡の範囲は東西200m、南北300m程(約1500平方m)に及び、弥生時代から中世にかけての遺物が出土、古墳時代の住居跡なども発掘された。また、本遺跡の周辺には、北に正木町遺跡、南に尾張元興寺跡、南東には東古渡遺跡など、古墳時代の様子を知る事ができる遺跡が連なっている。

 第1次調査 1983年  第2次調査 1984年  第3次調査 1987年
 第4次調査 1989年
 第9次調査 2001年


※伊勢山中学校遺跡第○次調査
 伊勢山中学校遺跡は、本校敷地内に収まった遺跡ではないため、伊勢山中学校遺跡第○次調査と称された名古屋市の調査の中には、本校以外の場所で行われたものも含まれます。
この為、「学校沿革史」に表記された調査の回数と、○次調査の回数は一致しません。(ややこしや〜ややこしや〜。)


■土坑出土の須恵器
土坑出土の須恵器
須恵器の杯蓋と杯身が合わさった状態で出土。
中には6個の緑色岩製の臼玉と加工のない自然の小石130個が詰まっており、「タイムカプセル」の様だったとか。
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古墳時代後期(6世紀後半)
第7次調査出土


■鉄てい(加工前の鉄材)
鉄てい 古墳時代の竪穴式住居から出土しており、東海地方では今のところ唯一の出土例。
当時鉄は貴重品で、価値の高い交易品だった。
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古墳時代前半(5世紀中頃)
第5次調査出土


■発掘風景(2001)
発掘風景 発掘風景
発掘風景
当時の発掘現場(実習園)

※発掘時の写真を除き、資料と文は「名古屋市見晴台考古資料館」の資料を参考にさせて頂きました。
より詳しく伊勢山中学校遺跡について知りたい方は、「名古屋市見晴台考古資料館」をお訪ねください。


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伊勢山中学校遺跡