●千年小学校の誕生日「うれしいな。学校ができた。」


開校のときの学校

ねぇ、おばあちゃん。
60年前の「学校の誕生日」はどんなだったの。

 昭和15年(1940年)12月1日のことでしたよ。
 前の夜から降った雨もすっかり上がって、冬の青空が広がっていたよ。
千年小学校はね、今の船方(尋常)小学校から分かれてできたんだよ。
今の中川小学校からも入ってきた子がいたよ。
 開校式は3日にやったの。
そのころの市長さんをはじめたくさんの人たちが出席してね。
 自分たちの町の学校ができて、それはうれしかったのよ。
※ 開校時の児童数は983名(現在の船方小学校から953名、中川小学校から30名)の児童を迎えて開校した。
 開校当時の学級数は17学級であった。

地名・校名、校章のゆらい


 わたしたちの学校が建っている場所は今から160年以上も前、昔、海だった所がうめ立てられてできた土地です。
 その後、明治9年(1876年)、それまでの船方新田と作良新田がいっしょになったので、新しい名前をつけようと、村の人たちがお寺に集まって相談しましたがなかなかきまりませんでした。
 夜明けになったとき、突然一番どりがなき、のぼり始めた朝日を後ろに数羽の鶴がたっていました。その美しい姿を見た老人が、「鶴だ、鶴だ。鶴は千年、亀は万年だ。村の名は、千年(ちとせ)と決まった。」とさけびました。
 これが千年の地名の始まりで、校名もこの村名から名づけたものです。
 また、校章は、鶴が羽を広げた姿の上に千年の文字を浮き彫りにして図案化したものです。
※熱田区誌 P205(昭和62年刊行)より

 

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