法王町にある楊輝寮は松坂屋初代社長 伊藤家第十五代当主伊藤次郎左衛門祐民氏の土地です。 1919年(大正8年)に名古屋市内の森を切り開いて 趣味の建造物を次々と建て楊輝荘と名づけました。 どんな建物かというと、広い敷地に 尾張徳川家から移築した伴華楼。 すでに跡形もないが500年程前の 民家を移築したという栗の木造りの栗廼屋、 八丈島から移築した穀倉、 大石蔵之助ゆかりの 建物を移築したといわれる端の寮、 享保年間(1716〜36年)の茶室の不老庵などです。 しかし終戦直前の名古屋市内空爆の為、 大半が崩壊してしまいました。 伊藤氏はそこに自らが選んだアジアからの留学生を住まわせ援助し、 大学へ通わせました。場合によっては国の援助が 受けられなかったりした学生などの面倒も見ていました。 戦後G.H.Qが利用していた事があります。 |