汐路の森の歴史
 

学校のある御莨町は、この近くでとれたたばこを尾張藩に献上したことからついた町名といわれています。東には、山崎川が流れて静かな環境です。学校の特徴といえば、何といっても“汐路の森”です。四季を通じて変化する木々の装いに触れ、自然の恵みを間近に体験できる貴重な財産です。サクラ、イチョウ、スギやマツなどに代表される樹木がそれぞれの季節の風情を存分に演出してくれています。子どもたちも、休み時間になると、汐路の森に集まってきます。このように自然の姿をそのまま残した森を教育活動に生かそうと、現在再生を目指して整備を進めているところです


昭和27年頃。汐路の森の樹木が見えます。その当時は木造の校舎だったのですね。


昭和34年。20周年を記念して学区の方々の協力の下、自然観察園・緑陰教室が整備されました。理科の観察や図工の写生の時間に主に使われたようです。


昭和54年11月1日(木)開校40周年記念として、「40路(しおじ)の森まつりを行いました。森での活動の成果を「みんなでつくろう森まつり」をスローガンとして総合的に発表し、楽しく思いっきり力の出し合える心のふれ合う場としました。


同じ年(昭和54年)汐路の森中央、子どもたちの活動がよく見える位置に「三気の精」が設置されました。併せて「汐路の森のうたーじっとみている森があるー」も作られました。


昭和57年。当時の6年生が「何か記念になるものを学校に残そう」と相談しました。1月から作業にかかり、二ヶ月がかりで仕上げました。汐路の森の藤棚の下で生き生きと遊ぶ子どもたちと、エンゼルが飛び交っている大壁画を完成しました。壁画には、最上段に「森で学ぶ子どもたち」の文字が入っています。今は、中央土間の北壁にかざられています。


昭和58年の春、森林公園は(尾張旭市一帯)は日本鹿の出産ラッシュでした。おめでたいことなのですか、困ったことにオリが足らないと言う問題が持ち上がりました。同公園の専門員が「どこかの学校で飼ってくれないものか。」と思案していました。これを聞いた当時の先生が子どもたちに話したところ、「ぜひ飼ってみたい」という強い希望があり飼うことになりました。しかし、鹿は野生動物の中でもひときわ精細な神経を持っています。オリのフンを始末しようとホウキを持っただけでこわがられたり、壁にぶつかって音を立てたりして後ずさりしたりするなど世話も大変だったようです。でも一生懸命世話をしました。いずれは、奈良・法隆寺のように、学校の東にある森の中で放し飼いにしたいという夢をふくらませていました。しかし、残念なことにメス(「リン」と命名)が死んでしまいました。オスの一頭だけではかわいそうということで、昭和63年9月13日、長野県の湯田中の牧場へ引きとられることになりました。


平成13年9月20日、NHKの環境教育番組「インターネットスクール たったひとつの地球」で4年生の子どもたちが「汐路の森」を紹介しました。当時4年生の子どもたちは、汐路の森に生きている動植物を調べたり、校外の森の様子と比べたりしながら、生き物の住みやすい空間作りや人間との共存共栄のあり方などについて学習を進めていました。
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