校歌「天地の」昭和61年3月に制定された経緯
それまでに校歌に準じて歌われていた「桜丘中学校の歌」は,戦後の新制中学初代校長三輪憲三先生の作詞によるものです。
「桜丘中学校の歌」
ひんがしのそら ひかりの矢
旭ににおう やまざくら
ああ若き日を この丘に
悔ゆることなく 生きんかな
この歌がつくられた当時,現在の矢田学区は桜丘学区の一部であり,また,旭丘学区だけでした。しかし,その後,学区の異動がありました。
昭和46年 明倫小学校 独立
昭和54年 矢田中学校 独立
学区が変わったことにより,詩の内容が校歌として実情にあわなくなったのです。
そして,
昭和60年 「格技場竣工 音楽室,第2美術室,視聴覚室,集会室 増改築中校舎3階普通教室改修
本校の校舎の建築も一段落したところで,校歌も制定してはどうかという意向が,PTA役員会で確認され,11月に開催された全委員会でも承認されました。(当時のPTA会長 田口貴美子)
作詞 柏木義雄 愛知淑徳短期大学 教授(当時)作曲 芥川也寸志 作曲家
☆生徒代表挨拶文より
今まで,私たちの学校には学校には,桜丘中学校の歌という,校歌の代わりとなるものがありました。慣れ親しんだ桜丘中学生の歌は,まだ私たちの学校が,矢田学区といっしょだった頃のもので,詩には「東の空」で東区,「光の矢」で矢田学区を指し,「旭ににおう」の旭は旭丘学区,「山桜」は桜丘中学校のことを意味していると教わりました。 矢田学区が独立し,学区に異動がありました。そのころ,新しい校歌ができるというお話を聞き,どんな歌ができるのだろうか,どなたが作詞や作曲をしてくださるのか,とても楽しみでした。(作詞をして下さった柏木先生,作曲をして下さった芥川先生)作詞の柏木先生は新聞などで,お名前を知り,詩人として広範な活躍をしてみえます。また,作曲の芥川先生はテレビなどで,よく拝見する,共に高名な先生方であります。柏木先生の書かれた詩の本が,学校の図書室にもあると聞き,この機会にぜひ読ませていただきたいと思います。
校歌ができてからは,音楽の先生の指導により,先生方は毎朝練習されていたそうです。集会の時,私たちの前でその練習の成果を披露して下さいました。
初めて,この「天地の」を聞いたとき,とても美しい詩だなあと思いました。
歌詞の中に
真実の光を浴びて
わたしたち
新しい時代を担う
ということばがあります。
そのことばにふさわしく,私たちの時代である21世紀に活躍することができるよう学習に,運動に,この歌を心の糧として文化活動やスポーツなどのおりに,がんばっていきたいと思います。
また,限りない夢と理想を追いつづける気持ちもなくさないでいこうと思います。
柏木先生,芥川先生,すばらしい詩を,すばらしい歌をありがとうございました。
先輩が歌い,私たちが歌い,そして後輩達へと声高らかに歌いつづけていきます。
最後になりましたが,校歌がつくられるにあたって,校長先生はじめ,PTA会長さん,学区の皆様方のご努力に感謝いたします。
ありがとうございました。
生徒代表 佐久間 由香