私は,8月26日から28日までの3日間,陸前高田交流団の一員として陸前高田市を訪問しました。今日は,その報告をさせていただきます。
陸前高田市役所で,スクリーンを通して陸前高田の震災前と震災後を見せていただきました。津波は建物の3階まで上がってきて,有名だった7万本の松原もたった1本を残して流されてしまいました。その松は「奇跡の一本松」と呼ばれ,今では記念碑になっています。
教育長さんからはこんなことを学びました。それは,「どんな時でも生き抜く力を身につける」ということです。この言葉から,津波で家などが無くなっても強く生きている陸前高田の人々の力を感じました。
河口のすぐ近くには気仙中学校がありました。津波の被害で今は使われていませんが,震災当時は先生達の判断で,いつもの避難場所よりも高い所に避難したおかげで,生徒は全員無事だったそうです。南陽東中学校から気仙中学校にメッセージを書いた色紙を送りましたが,その気仙中学校から「奇跡の一本松」の写真のついたプレゼントをもらいました。
交流会では両市の紹介やゲームなどを通して一緒に楽しんだり,互いのことを知ったりしました。そして,意見交流会では「今,自分たちにできること・自分たちがすべきこと」をテーマに話し合いました。避難する時の持ち物で一番役に立ったものを聞いたら,電気がなくて全く情報を得ることができなかったので,ラジオが一番役に立ったそうです。あと,真っ暗で光がなかったので懐中電灯も役に立ったそうです。
大切なものは何か聞くと,「家族や支えてくれた人」と真っ先に答えていたのが印象的でした。
第一中学校の校庭には,津波で家を流されてしまった多くの人たちが仮設住宅という所で生活していました。そこで,私たちはボランティア活動として窓ふきをしました!
仮設住宅は決して広くはなく,あと何年そこで生活するかもわからないのに,そこで暮らす方々はとても優しくて,明るい笑顔をたくさん見ることができました。
3日目には産業体験をした後で市長さんとの懇談会がありました。
市長さんは,私たちに「この東日本大震災を忘れないでほしいということを伝えたい」とおっしゃっていました。
私は市長さんに「復興は何パーセントくらい進んでいますか」と質問をしました。市長さんの答えは「数字では表しにくいが地域によって復興の進み方は違います」ということでした。そして,私たちが,今,こうやって学校に通い,体育大会や球技大会,文化祭などたくさんの行事ができること。生活するための環境があること。そんな当たり前の幸せに感謝しなくてはいけないと知ることができました。
私は,避難する時の荷物にラジオや懐中電灯を入れたり,すぐに逃げられるよう避難場所を家族と話し合っておいたりと,もし自分たちが震災にあったときに,この経験を生かして行動できたらと思いました。今後も機会があればこの訪問の経験を伝え,そして,当たり前の幸せに感謝し,この東日本大震災を忘れないように生活できたらと思いました。
これで報告を終わります。