寺にあった学校
初めに龍泉寺におかれた学校は,しばらくして今の瑞穂学区にある大喜寺に移りました。

1891年(明治24年)10月に起こった濃尾大地震のあと津賀田神社の東にある天聖寺に移りました。この間,「第二十四番小学井出学校」として開校した 瑞穂小学校は,1876年(明治9年)に「第二十四番小学瑞穂学校」になりました。このころから,勉強の内容も増えて,特に「修身」という教科は,一番大 切な勉強といわれ重視されました。

勉強は,寺の本堂に小さな机や腰掛けを並べて,1年から4年までの全校児童が一緒に行いました。

 先生の数は2,3人と少なく,ノートや鉛筆がなかったので,石盤や石筆という学習用具で勉強しました。


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