立ち上がる学校
1945年(昭和20年)長く続いた戦争が終わり,瑞穂にも平和がよみがえりました。

集団疎開していた子どもたちも続々と帰ってきました。しかし,かんじんの教室がありません。そこで,学区内のお寺や小屋を借りての分散授業をすることにな りました。終戦によって勉強の内容もすっかり変わりました。「修身」が禁止され,新しい教科として「社会科」が登場しました。

1947年(昭和22年),校名が現在の「名古屋市立瑞穂小学校」となり,校訓も「強く・正しく・一心に」から今の「つよく・あかるく・いっしんに」に変 わりました。また,校舎もしだいに建て直され,全員そろって勉強できるようになりました。しかし生活はまだまだ苦しく,鉛筆もノートもない日々が続きまし た。

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