大きくなった学校
1897年(明治30年)には,わずか1棟しかな かった小さな瑞穂小学校も,その後,近所にた くさんの住宅が増築されました。

1915年(大正4年には,人数の増えた学区を 分けることになり,弥富尋常小学校が独立しま した。

1921年(大正10年)ごろから児童数がどんどん増えて教室も先生も足りなくなり,1学級の人数が80人にもなりました。このころから,全国的に教育に 力を入れるようになり,瑞穂小学校でも,グループ学習や理科の実験,鉄棒やボール運動もさかんに行われるようになりました。また,野球の試合や陸上競技会 でも次々と立派な成績をおさめました。普段は,しまの着物に三尺帯をしめて学校に通っていましたが,試合の時には,ユニフォームで活躍しました。


 名古屋市の発展につれて,瑞穂小学校の児童数も増え続けました。

1924年(大正13年)には, 3200人を越える人数になりました。そこで,校舎を増築したり校地を広げたりする一方で,大正から昭和の初めにかけて次々と分校を独立させていきました。


このころに,かぎ型の2階建ての木造校舎が完成し,その後さらに南に延長されました。

1936年(昭和11年)にも校舎の増築が行われ,教室の数は今とだいたい同じ数になり,校地の広さも今のように広がりました。




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