見付小学校誕生秘話

 見付小学校は、東山小学校分校として、10年間過ごしました。当時は、1学年8クラスのマンモス本校と3クラスの小さい分校でした。
 大きな行事は、本校と一緒に行っていました。例えば、運動会は本校へ行って一緒に、修学旅行や校外学習なども、本校に来ているバスまで歩いて行って乗るという具合に、行事等があるごとに、本校まで行っていました。分校だけならできることも、「大きな学校には無理だからこの行事はやめましょう」ということもありました。
 
分校として10年目を迎えようとするころ、「今年こそ独立しよう」ということで、学校も地域も動き始めました。
 
東山小学校との境界線付近の地域は、本校へ行くか、分校へ行くかで話し合いが行われました。本校も分校も、学区全体で署名活動や集会などが連日行われました。通学分団単位で動くことと、多数決や説得ではなく、納得して決めるということを決めていたので、どんなに意見が違っても、お互いの話をじっくり聞いて、みんなが納得するまで話し合う毎日でした。
 
見付小学校が東山小学校から独立することが決まったときは、「よい学校にしよう、よい学区にしよう」とみんなが一つになって喜びました。そして、校歌、校章など、いろんなことを一から考えて決めていきました。
 
そしてついに、昭和57年4月、見付小学校開校を迎えたのです。

※ 見付小学校誕生秘話は、初代PTA会長森幸榮様より、創立40周年式典でお話しいただいた内容を基にしています。