■グランドデザイン
■教育目標
■学年・学級構成
■本校の歴史

■学区の変化
■町名の由来

■校名・校章の由来
■校歌



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学校紹介

■グランドデザイン




■教育目標

心豊かで たくましく生きる 児童の育成

進んで学び 取り組む子

基礎的・基本的な学力や基本的な生活習慣の確実な定着を図るとともに、自分らしさを発揮して、粘り強く課題を解決しようとする力を育てる

みんな仲よく 笑顔の子

自らを律しつつ他を思いやる心、生命や人権を尊重する心、美しいものや自然に感動する心、公共のために尽くそうとする心など豊かな人間性や感性を育てる

いつも明るく 元気な子

すすんで運動に親しみ、生涯を通じて健康・安全で活力ある生活を送ろうとする態度を育てる


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■学年・学級構成(令和5年5月1日現在)


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■本校の歴史
 本校は,明治34(1901)年,金城尋常小学校として田幡町森下2474教室212人で開校しました。その後,明治・大正・昭和と三つの時代を経て現在に至りました。本年度は創立107年にあたります。

明治34(1901) ・金城尋常小学校創立。田幡町森下247に,4教室212人で開校(41日)
・多奈波太神社の東へ新校舎開設(71日)

【明治40年頃 校舎】
明治40(1907) ・小学校令改正。6ヶ年義務制となる
大正6(1917) ・高等科を併設し,金城尋常高等小学校となる
大正10(1921) ・金城村,名古屋市に合併,東区に入る。名古屋市金城尋常高等小学校となる。校章制定
昭和3(1928) ・校舎,現在の場所に移転
【昭和18年頃 校舎】
昭和6(1931) ・上名古屋小学校創立により学区域変更
昭和12(1937) ・名古屋市10区になる
昭和13(1938) ・高等科を分離し,名古屋市金城尋常小学校と改称
昭和16(1941) ・名古屋市金城国民学校と改称。太平洋戦争開戦(128)
昭和19(1944) ・名古屋市13区になる。北区ができる(211)〔飯田,下飯田,杉村,大杉,清水,金城,城北の7学区〕
・三重県射和村(現在の松坂市)へ集団疎開(813)
昭和20(1945) ・学区大半焦土,学校全焼,名古屋城天守閣焼失(514)。終戦(815)
・疎開引き上げ(1125)・・・下飯田小学校(現在の名北小学校)で授業再開
・新学制(6334)発布

【昭和30年頃 航空写真(右上:北)
昭和22(1947) ・名古屋市立金城小学校と改称。復興校舎第1期工事完工(下飯田小引き上げ)
・志賀中学校開校
昭和26(1951) ・第1次校地拡張,校舎大増築完工
昭和27(1952) ・現在の校歌制定
・第2次校地拡張,西校舎平屋南へ移転
昭和28(1953) ・西校舎2階建,木造4教室,鉄筋2教室増築
昭和29(1954) ・東校舎木造2階建,6教室増築
【平成13年 航空写真(左上:北)
昭和31(1956) ・南校舎木造2階建,6教室増築
昭和32(1957) ・東志賀分校竣工
昭和34(1959) ・伊勢湾台風の被災者を体育館・教室に受け入れ
昭和35(1960) ・児童数2560人で愛知県一番の規模となる
昭和36(1961) ・分校が東志賀小学校として独立
昭和37(1962) ・北校舎鉄筋,2階建8教室竣工
昭和40(1965) ・北校舎鉄筋,3階部分4教室増築
昭和41(1966) ・体育館兼講堂竣工
昭和45(1970) ・第3次拡張,林泉寺全面移転
昭和46(1971) ・創立70周年
・南校舎竣工
昭和47(1972) ・北校舎鉄筋3階建,11教室増築,プール竣工
【金城生き生きランド】
昭和50(1975) ・管理棟と西校舎竣工,木造校舎全てなくなる。
昭和541979)年 ・校旗制作(PTA)
・校庭整備完了
昭和56(1981) ・創立80周年
・校舎増改築
・給食関係改修工事
平成元(1989) ・現体育館兼講堂竣工,同緞帳「飛翔」制作
・正門,築山及び校歌碑、玄関先カラー舗装完成
平成9(1997) ・国旗掲揚塔完成
平成11(1999) ・トワイライトスクール開設
平成12(2000) ・新世紀学校づくり推進事業(金城生き生きランド)着工
平成13(2001) ・創立100周年記念式典
平成18(2006) ・北校舎耐震補強工事竣工

【学力向上パイロット事業:メディアルーム】
平成19(2007) ・西・南校舎大規模改築工事竣工
平成20(2008) ・学力向上パイロット事業実施校
平成23(2011) ・創立110周年記念式典
・学力向上サポート事業
実施校

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■学区の変化
 現在の学区の広さは、東西約1.1km.、南北1.3km.、広さは約1.2ha.あります

明治22(1889)

田幡村・西志賀村・東志賀村・北押切村・児玉村・上名古屋村の一部が合併して、金城村誕生


【学区全景:平成132001)年5月撮影】

明治34(1901)

金城尋常小学校開校。学区は、東は地下鉄志賀本通駅の辺りから、西は枇杷島スポーツセンター辺りまで、北は現在とほぼ同じで、南は名城公園の南端まであり、東西約4km.、南北2km.程の広さだった

昭和6(1931)

西ハサバ以西が上名古屋小学校として独立。練兵場(名城公園あたり)が、清水小学校区に編入

昭和36(1961)

国道41号線以東が東志賀小学校として独立

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■町名の由来 【名古屋市計画局発行「なごやの町名より」】

金城

・名古屋城の別名にちなんで付けられたと言われている

駒止

・平手政秀が織田信長の非行をおさめるために切腹した際、信長が駆けつけ、近くの松に馬(駒)をつないだことに由来すると言われている

敷島

・むかし、深川(ふかのかわ)に6尺(1.8m.)ぐらいの土手があり、低い松が植えられており、その土手から東を見ると海のような素晴らしい眺めであったことから「敷島」と名付けられたと言われている

城見

・名古屋城が見通せることから名付けられたと言われている

八代

・織田家の家老、平手氏が八代の政秀で絶えたことから名付けられたと言われている

田幡

・棚機(たなばた)の意味で天棚機(あまのたなばた)姫(ひめの)命(みこと)の名が地名になったと言われている

平手

・織田家の家老、平手政秀の邸があったことによると言われている

志賀

・元は、波のしわを表す言葉といわれ、この地がかつて湿地帯であったため名付けられたと言われている

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■校名・校章の由来

 明治22年町村制施行によって周辺6か村(西志賀・東志賀・田幡・上名古屋・児玉・北押切)が合併した際,これらの村々が名古屋城を取り囲むようにあったことから金城村と名付けられました。校名は,この金城村にちなんで付けられたものです。
 右掲の校章は,校名の由来をもとに大正10年ごろ,当時本校教員であった田中延金氏によって作られました。名古屋城の「鯱」と熱田神宮の「草薙の剣」があしらわれています。

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■校歌
 現在の校歌(昭和27年〜)
 
 旧校歌(昭和8年頃)
 



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