こんな古地図を見るとびっくりしてしまいます。尾張国美濃国図といわれる有名な古地図です。三河猿投神社より発見されたもので、地図が作図されたのは養老元年(717)頃、といわれています。これを見ると、枇杷島は島だったということになります。長島も島…。地名は、ここからかと思ってしまうものです。
でも、こんな矛盾が
・寺野遺跡(津島市)から、弥生時代6000年も前の土器が発掘されているので、その時は陸地だった。
・現在も、枇杷島も長島も低い土地です。この土地は島になるほど高い土地ではありません。
・平安時代、まだ、濁点は表記できませんでした。地図には『ビハジマ』と記されています。この地図は偽物ということになっているのですが、それにしてもよくできているものです。現在の地名や位置関係、山並みをうまく表していて不思議な気持ちにさせられます。
もっとも、この地図が717年に完成していたとすると、枇杷島の地名の由来も怪しくなるのですが、こちらの地図は江戸時代に書き換えられているということです。もっとも、平安より以前からこの地を「びわじま」と呼んでいれば、話は単なる言い伝えということになります。地図といい地名の由来といい、この地の歴史にはロマンがいっぱいありますね。
参考文献
津島市立図書館 古地図散歩 http://www.lib.tsushima.aichi.jp/section/walk_old_maps-00/
See level rise http://flood.firetree.net/?ll=33.8339,129.7265&z=12&m=7