はぁ~
尾張名古屋で 名高いものは
コラサ
熱田の宮と わしが町
ソレナ
青物市場じゃ 日本一
ヤーレ
ソーレヤットコナー
さぁ~さ おどろよ 枇杷島音頭
歌も そろ~た 気も合(お)うた
サモサッテモヨーイトナー
「枇杷島音頭」という資料が学校にありました。上記は、その「枇杷島音頭」の歌詞です。
ただ、言えることは、枇杷島は大きな成果市場だったということです。この資料を作成している現在、清須市の西枇杷島問屋記念館は、補修工事ということで詳しくは分かりませんが、そこに展示されている枇杷島市場問屋配置図を見ると、中心は西枇杷島にあったもののこの地にも市場が多数あったことがうかがえます。
江戸時代には、尾張藩は防衛の観点から橋を架けることには消極的で、庄内川では枇杷島橋が主街道に架けられた唯一つの大橋だったということです。それだけ、この地は交通の要所でもありました。東海道と中山道をつなぐ美濃路の人の往来は多く、にぎわったことでしょう。徳川家康の命で開かれた市は、江戸の神田、大阪の天満と合わせて日本三大市場でした。
参考文献
名古屋の古道・街道
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uploads/2015/09/af6e4edcd43bc942a2423666b3ded4f0.pdf
西枇杷島問屋記念館
https://www.city.kiyosu.aichi.jp/shisetsu_annai/kanko_shisetsu_sonota/tonyakinenkan.html
郷土史かすがい 第75号
https://www.city.kasugai.lg.jp/shimin/bunka/bunkazai/1023948/kyodoshikasugai/1004412/1004414.html