涙のホームステイ
沖田一哉


2001年7月28〜31日
マレーシア・ティムロー町

 「Nice to meet you!」ホームステイ入村式での挨拶を必死にがんばる僕がいる。その時はまだ、ホームステイというのは、ただ、言葉やその他のコミュニケーション能力を養うということだと思っていました。

 僕のホストファミリーは、日本語はもちろん英語すら話せなかった。少しだけ英語を話せる人もいたが、僕はマレー語しか話せないおばあちゃんとずっと一緒だった。ホームステイでの第一印象は、「言葉が通じないのに、どうやって生活する?」という絶望的なものだったことを覚えている。夜になると、なぜかみんなは、よそ行きの服に着替え始めた。おばあちゃんが、僕の服を指して何やら言っている。着替えろってこと?訳もわからないまま車に乗せられ、夜なのに野菜や果物を売る屋台が何十軒も並ぶ市場へと到着した。マンゴスチンやパパイヤ、それにドリアンといった日本では珍しい果物がたくさんあり、見ているだけで楽しかった。大きなドリアン2個と枝ごとついているマンゴスチンを買った。おばあちゃんが重そうに持っていたので、黙って手を出した。 ?という顔をしたおばあちゃんだが、少し照れながら袋を僕に預けてくれた。そこに一言の言葉もなかった。「言葉なんていらないじゃん」と言って僕が笑うと、おばあちゃんも一緒に笑い、すっと僕の手を握ってきた「これじゃあ、まるで…」と言いかけてやめた。どうせ通じないだろう。それに、不思議と嫌ではなかったから。その後も夜の町をトコトコ歩き、家に着いた時には11時をまわっていた。

 1日目の夜以来、妙にマレーシアの暮らしに慣れていった。家ではTシャツを脱いで、一番涼しい玄関(高床式になっていてベランダみたいなところ)で本を読んだり、昼寝をしたり。時々、町の人が挨拶をしてくれる。始めのうちは、少し戸惑ったが、いつしか、自分から声をかけるようになっていた。自分の家より過ごしやすいとさえ感じ始めた時には、もう別れの朝を迎えていた。

 入村式を行ったメモリアルパークに集合すると、もうすでに何人かのNACOSメンバーが来ていた。「もうお別れなんだよね。」などと、少し寂しさに浸っていると、メンバーの女の子の一人が目を潤ませた。それにつられるように、また一人、また一人と目に涙を浮かべ、気が付くと僕のおばあちゃんもうっすらと目を濡らしている。「泣くことないよ!」とおばあちゃんの肩を叩いたが、だんだんと、僕の視界も歪んでくる…。「どうして!?言葉なんてほとんど通じてないのに。」恥ずかしいくらいに涙を流す友達や、おばあちゃんを見ていて、とても切なくなった。 そのとき、僕はホームステイを行う本当の意味を知ることができたと思う。 ホームステイとは、ただ語学能力を上げるためのものではなく、人と付き合う能力や思いやり、つまりは人として必要な能力を養うものなのだと。こんなやさしい気持ちにさせてくれた全ての人に『ありがとう!!』