8月1日(第11日目)の報告
2000年8月1日(火) マレーシア ティムロー・マラッカ |
みなさんこんにちは。ナコスです。
ついに、別れの朝がやってきました。このホームステイが始まる前は、山奥の農村で私たちはどんなことになるのだろうと、すごく心配していましたが、今となっては、この朝が永遠にこなければどんなによいかと、時間を恨めしく思うばかりです。 朝9時、私たちはメモリアルパークに集合しました。ホストファミリーのお父さんや、お母さんもいっしょです。子供たちは、学校に行っており、こられない子がたくさんいました。朝からしとしと、涙を代弁しているかのような、雨が降っていました。しかしその雨も、私たちが別れを告げる頃にはすっかりやみました。でもそのかわり、今度は、私たちの目から、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちました。みんな必死に泣くのをこらえていましたが、ティムローのみんなと握手を交わすうちに、しだいと目尻を赤くして、泣き出してしまいました。みんな、久しぶりに泣いたことでしょう。 たった3日間のことでしたが、この3日間で得た物の大きさは、はかりしれません。日常生活では気づきにくい、人間の優しさ、たくましさ、そして美しさを実感できました。自分たちも言葉が通じないなりに、生きるためにはコミュニケーションが必要とあって、それぞれ、必死になって会話していました。お互いが歩み寄ろうとたゆまぬ努力をした結果、心と心が通じ合ったのだと思います。ティムローのみなさん、ほんとうにありがとうございました。 ティムローを後にした私たちは、再び首都のクアラルンプールを経由して、さらに高速道路を南下すること約2時間、マレーシアの古都「マラッカ」へたどり着きました。マラッカはマレーシアの古い港町で、かつては交易の要衝として栄えました。西洋諸国の植民地支配の影響を強く受け、町のあちこちでオランダやポルトガル、中国などの文化をかいま見ることができます。町そのものは比較的狭く、2日もあれば市内は十分観光できるそうです。 マラッカに入った私たちは、市内観光として「セントポール教会」のある丘や、「サンチャゴ砦」を訪れました。セントポール教会は、宣教師フランシスコ=ザビエルの遺骸が一時期納められていた由緒正しい教会で、今は空墓が公開されています。市内観光を終えた私たちは、ホテルへ戻りチェックインを済ませました。ホテル一階のレストランで夕食をとった後、ホテル周辺の市街地を散策しました。クアラルンプールと同じマレーシア国内であるにもかかわらず、町並みは全く異なることにおどろきました。港町として栄えたためか、様々な国の商人たちが思い思いに店を並べています。そしてやはりここでも、華僑の経営している店はとても多かったです。 研修とは直接関係するわけでは無いですが、マラッカで宿泊するホテルは、ガイドブックなどで「五つ星(★★★★★)」とされている「ホテル・ルネッサンス・マラッカ」です。広いロビーには噴水があり、各部屋には電話機が2台もあります。あ、バスルームにも電話機が・・・。私たちは24階建ての20階に泊まったのですが、窓からの眺めは本当にきれいでした。絶景かな絶景かな。明日は、マラッカ市内の企業視察をし、そのあとマレー鉄道でシンガポールへ向かいます。約1週間に及んだマレーシアとも、明日でお別れです。 それではまた、次回の報告でお目にかかります。
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