竹田の子守唄……名曲に隠された真実

目次:◆三十年ぶりの里帰り◆歌の旅立ち(1)フォーク・ブームのその年に(2)「橋のない川」をきっかけに(3)思い浮かんだ「赤いサラファン」(4)楽譜になった「おふくろさんの子守唄」(5)赤い鳥、たった二曲のレパートリー(6)URCからアルファミュージックへ(7)「人生」は嫌いですと言うたんです(8)「この在所こえて」とはどこのこと?(9)久世の大根めし、吉祥の菜めし(10)勇気をもって、うとていけ 他◆娘たちはうたう(1)守りもいやがる、盆から先にゃ(2)ねんねんころりよ、おころりよ(3)おどま盆ぎり盆ぎり(4)盆がきたとて、なにうれしかろ(5)この子よう泣く、守りをばいじる(6)はよもゆきたや、この在所こえて(7)研ぎすまされた一節◆歌のふるさと(1)伏見奉行所の直轄地「野田村」(2)代金は塩水で洗い清めて(3)元唄を伝えた武村やすさん(4)どどいつの型を友として(5)「竹田こいこい節」の世代(6)本町本町といばるな本町(7)武村キヨ子さんが語る竹田(8)毛糸のパンツがほしかった(9)「微熱」のような罪の意識から◆歌はなぜ部落に残ったか(1)通い婚と「チーコイターコイの唄」(2)はったい粉と麦茶の行商に歩いて(3)子守唄の消滅、その二十年の差(4)おなご同士のまじわりがでけたのに(5)子守唄は、私たちの原風景(6)大人社会が嫌いだった(7)おれら、くすぼっとったんや(8)どれだけ道を歩めば、人と呼ばれるの?(9)テレビには足だけが映っていた(10)「もんばめし」は力強くうたってこそ◆おわりに◆楽譜と歌詞